
雑賀忠義「過ちは繰返しませぬから」

「過ちは繰返しませぬから」
広島の原爆死没者慰霊碑に刻まれたこの一文は、これからの人間のあり方を問う言葉です。にもかかわらず、今日ではこの言葉に対して、
「被害者の日本がなぜ過ちという言葉を使うのか」「主語がなく、責任があいまいだ」といった批判も見られます。けれどもそれは、自分の立場からしか物事を見られない視野の狭さを、むしろ浮き彫りにしているように感じます。
誰かの過ちではなく、人間全体の過ちとして、私たち一人ひとりが引き受けるべき問い。そう受けとめるとき、この言葉は過去への反省だけでなく、未来への責任を静かに語りかけてきます。
「忘れない」だけではなく、「これからの平和」ために。被爆80年のいま、この言葉を、広島から改めて見つめ直したいと思います。
善正寺 副住職
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